教会巡りと生まれて初めてのミサ


宣教師が保養地としての開発を行ったという土地柄ゆえなのでしょう、軽井沢には多くのキリスト教系の教会があります。そのうち今回訪れたのは、聖パウロ教会、ショー礼拝堂、軽井沢教会の3つ。この記事では、一番滞在時間が長かった聖パウロ教会についてを中心に書いていきます。



パウロ教会


軽井沢聖パウロカトリック教会は、1935年(昭和10年)にワード神父によって設立されました。ワード神父は英国人。
建築は、チェコ出身でアメリカ市民権を持つアントニン・レイモンド(Antonin Raymond)が手がけました。帝国ホテルのライト館を設計した米国人建築家フランク・ロイド・ライトFrank Lloyd Wright)の下で働いていた人物でした。


軽井沢を愛してやまぬ小説家・堀辰雄は、その著作『木の十字架』の中で、

簡素な木造の、何処か瑞西の寒村にでもありそうな、朴訥な美しさに富んだ、何ともいえず好い感じのする建物である。カトリック建築の様式というものを私はよく知らないけれども、その特色らしく、屋根などの線という線がそれぞれに鋭い角をなして天を目ざしている。それらが一つになっていかにもすっきりとした印象を建物全体に与えているのでもあろうか。

とこの建物について描写しています。「何ともいえず好い感じのする建物」とは、確かにその通り。



内部の様子。木の内装は暖かみがあっていいですよね。



聖壇。



結婚式に遭遇

この教会は軽井沢の名所のひとつであり、数多くのカップルが式を挙げた場所としても知られています。有名な芸能人も多いそうな。


キリスト教人口が1%の日本ではカトリック信徒同士の夫婦というのは少ないのでしょうが、カトリックにおいて結婚は秘跡のうちの一つに数えられるほど重要視されるもの。


その日、午後にちょうど教会の前を通りがかったとき、結婚式が行われていました。見ず知らずの方々ではありますが、こういう慶事を見かけますとなんだかこっちまで嬉しくなります。


道路から遠巻きに観光客たちが見守る中、カップルと参列者の方々はまず教会のすぐ脇にある鐘の前に整列しました。
やっぱりウエディングドレスは素敵だ〜。憧れてしまう。


垂れ下がるヒモを引いて鐘を鳴らす神父。
リンゴンリンゴン、と澄み切った青空に響くウェディング・ベル。


やがて彼らは教会の中に入っていきました。最後に腕を組んだ花嫁さんとお父さんがバージンロードをゆっくりと歩き出し、式が始まったようでした。


とてもお天気に恵まれた日でしたので、挙式したお二人も素晴らしい思い出になったことでしょう。お幸せに。


ミサに出席


ところで、実はこの教会の夜から始まるミサに出席してきました。きっかけは、午後に落ち合った同行者に誘われたこと。


同行者はカトリック信者です。私にとっては唯一の身近なクリスチャン。
この人は洗礼も受けているし、教会にも月に数度足を運びミサや勉強会の講座に出席しているんだとか。たまに聖書や『カトリック生活』*1を読んでる姿を見かけます。あと、遠藤周作とか曽野綾子とかクリスチャンの作家の本を一通り知っていたり。


と書くと結構信心深い人のように見えますが、普段はあまり宗教色を出さないユルい人です。この人がキリスト者だということは、周囲は気付いていないし知ってる人もほとんど意識していないと思います。


ちなみに、私はこの人がキリスト者なのだと強く認識した場面が今までに一回だけあって、それは数年前に行われたとある親族の結婚式でした。チャペルで行われたのですが、その際この人の祈り方がとてつもなく真摯だったのです。初詣に神社、お葬式にお寺、結婚式に教会、というのに抵抗感の無い典型的日本人が多く参列する中、その場にいた誰よりも深く誰よりも長く新たな夫婦の幸せを願い祈りを捧げていました。「人が祈る姿は美しい」とはたまに聞く言葉ですが、実際その姿はとても印象的で、これだけ真剣に祈ってもらったらこの新婚カップルはきっと幸せになるんじゃないかなと無条件で感じました。


なので私はそんなにカトリックの信仰って嫌いじゃないですし、本人が大事にしている信仰は尊重していきたいと思っています。


とはいえ、私自身は宗教への関心は薄いたちで、これといった信仰は持っていません。なので今まで教会で行われる宗教的行事に参加したことはありませんでした。
今回が生まれて初めてのミサとなりました。


始まる前は信者ではない人間がミサに行っても大丈夫なの?とちょっと心配だったのですが、同行者曰く
「大丈夫大丈夫。周りの人の動きを見て真似してれば問題ない。ただ、信者じゃないから十字も切らなくていいし、アーメンも言わなくていい。聖体拝領のときも神父様にはパンを貰うのではなく祝福を貰って。それと携帯電話の電源だけは絶対に切っておいて」
とのこと。実際、司祭の方をはじめ参加者の皆さんにはにこやかに迎えていただきました。


式は終始静寂と厳かさの中で進みました。
ユーモアを交えた説教のときだけ小さな笑いも起きましたが。後で同行者に聞いたところによると
「どこの教会でも、日本人の神父さまってミサの時も真面目だけど、外国人の神父さまはわりとジョークとか飛ばすんだよね」
とのこと。


10人前後の参加者は、私たち以外は全員地元の信者の方々のようで皆さん物馴れた様子で参列していました。カトリック教会のミサの進行は世界中どこでも原則同じである上、数年前に数回この聖パウロ教会のミサに出席した経験があるんだそうで、同行者もあまりまごついた様子は見せず。式の最中は私にだけ聞こえるくらいの小声で「今読んでるのはこのページのこの部分」「今のは平和の挨拶というもので〜」などと都度ナビゲートまでしてくれました。

このナビゲートがなかったら、きっと私は式の最中ずっとオロオロしまくりだったんだろうなぁ。特に平和の挨拶(お互いに「主の平和」と唱えて会釈をし合う)の時とか、聖体拝領の時とか、知らない人はビビると思う。


聖体拝領時には会衆は中央通路に並び、自分の番が来ると信者は司祭からキリストを象徴するホスチア(種無しのパン)を貰います。それを食べることでキリストとの交わりを得るのだそうです。


一方、カトリック信者でない人(や信者であっても何らかの理由で聖体拝領を拒む人、また幼児洗礼のみで聖体の意味を理解しない幼い子どもなど)の場合、頭を下げて待っていると、司祭が頭の上に手をかざし祝福を授けてくれます。私も祝福を受けました。日本語ではなかったので司祭の方がなんと言ったのかはわかりませんでしたが(ラテン語??英語でもなかったような……)、たいてい「神様の恵み深い祝福がありますように」などの意味の言葉をかけてもらえるようです。


ちなみに小規模な教会だとミサに参加するのは受洗済の信者かそれに近しい人がほとんどだけれど、大規模な教会ともなると信者ではない人も結構来ているそうです。例えばラテン語のミサをやるときなどは、信者ではないけれどラテン語を勉強してる学生が来るそうな。確かに、いまどきラテン語を聞ける機会なんてめったにないですもんね。日本最大規模のカトリック教会である聖イグナチオ教会2010年教勢調査によると、ミサにおいて祝福を受けた人も、また聖体拝領も祝福も受けなかった人もいることがわかります。


今回のミサでは私以外全員信者の方だったようなのでちょっとどぎまぎしましたが、どれもこれも初めて目にすることばかりで、なるほどなぁ、カトリックのミサってこういうものだったんだなぁ、想像していたものと違ったなぁ、と終わった際には何やら感慨深かったです。


実は「ミサ」という言葉を聞いて私がイメージしていたのは、聖職者の説教がメインの講演会的なものでした。長時間聖書にちなんだ宗教的なお話を聞き、最後にちょっとだけ祈祷文と「アーメン」を唱えるものなのかと勘違いしていたんですよね。


私の出席したミサは、そうではなくて、真摯な祈りの場であり、厳かに粛々と行われる儀式の場でした。私が軽く考えていた以上に静謐で神聖な、信徒にとって重要な典礼だったんだなとひしひしと肌で感じたのです。だからこそ同行者も信仰を伴っていないのならば「アーメン」と唱えなくていい、十字を切らなくていい、と言ったのでしょうね。



今回のミサへの出席というのは、本当に印象深い経験でした。
ホスチアって一般的なパンというより海老せんのようなどん粉煎餅に似てるんだなー、カトリックでは「賛美歌」という言葉は使わず「聖歌」を使うんだ、お祈りの中に時事的なものも含めるんだな(今回は東日本大震災で被災した方々への祈りでした)、などと知らなかったカトリックの文化に触れられたのも勉強になったし。


そして、何より身近な人のキリスト者としての顔を知り、その夜信仰や人生についてを深く語り合うきっかけとなったのは良かったです。普段宗教の話ってガチでやらないものなので、こんな機会でもないと突っ込んだ話はしなかったかもしれません。


ミサを終えて外に出たら、鐘がライトアップされてました。




ショー礼拝堂とショーハウス


教会巡り第2弾は、緑深い別荘地の中に建つショー記念礼拝堂です。こちらも軽井沢の名地。


手前の胸像は、カナダ生まれの英国聖公会宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショー(Alexander Croft Shaw、1864〜1902年)です。彼こそがこの地にキリスト教文化を伝え、避暑地としての軽井沢、ひいては高級別荘地としての軽井沢を切り開いた人物。軽井沢を紹介する本ではたいていこの宣教師の名前が載っていますよね。


スコットランドからカナダへ移住した一家に生まれた彼は、トロントで聖職者として一歩を踏み出し、明治3年(1870年)に渡英、ロンドン勤務を経て、明治6年(1873年)に来日したそうです。日本への伝道のためでした。明治19年(1986年)、 東京帝国大学英文科講師ディクソンとともに夏の軽井沢で避暑を経験。その際、この地の清涼な気候や豊かな自然に魅せられましたといいます。一説には彼のルーツであるスコットランドに似ていたからだとか。軽井沢を「森の中の屋根のない病院」と称えた彼は、この地を避暑地として広く紹介をし、それがきっかけとなって明治以降、多くの外国人、皇族、華族、芸術家、裕福な商人などが別荘を構えることとなりました。


軽井沢自体素晴らしい土地ですが、その素晴らしさをしっかり伝えて多くの人にこんな山奥まで足を運ばせたなんて、きっとショーは相手の心に訴える伝え方を出来る方だったんでしょうね。伝道師ってのは伊達じゃない。


写真の奥に見えるショー記念礼拝堂は、ショーが夏を過ごしたバンガローが元になっているそうで、その後二度改築をし、現在に至っているそうです。


私が訪ねたとき、こちらの礼拝堂も結婚式の最中でした。軽井沢ウェディングの人気の高さを改めて実感します。



礼拝堂は外観のみ眺めてきましたが、礼拝堂のすぐそばに建ってるショーハウスは、内部も見学できました。
この建物は、アレキサンダー・クロフト・ショーが明治21年(1888年)に大塚山に建てた最初の別荘を修築したものだそうです。


木造の二階建て。



この建物は余所から移築してきたものであり、もともとここにあったものではないそうですが、この場所を選んだのは正解だったなと思います。ぴったりです。清々しい緑に包まれ、部屋の中に居ても建物の後ろを流れる小川のせせらぎが常に聞こえる居心地の良い空間でした。





日本キリスト教団軽井沢教会


教会巡り第3弾は日本キリスト教団軽井沢教会です。こちらはプロテスタント。残念ながら閉まっていたため外観の写真のみ撮ってきました。
この建物は、いつ見ても行列の出来ている旧軽のミカド珈琲のお隣にあります。



お花が色鮮やかでとても綺麗でした。



おまけ  夕食のピザ


観光地にしては軽井沢の夜は早いです。暗くなると新幹線の本数も少なくなりますし結構早く店が閉まってしまうので、遅い時間に夕食を取ろうとしたら探し回ることになりました。やっと駅近くのアウトレットの中にあるピザ屋さんで夕食にありつけました。あまり期待していなかったのだけれど、予想以上に美味しくてびっくりしたな。


食べつつ、話題は自然と同行者の信仰生活についてになりました。


「夫婦でミサに行ける家庭は羨ましい」
「いつかヴァチカンかイスラエルに旅行に行きたい」
「死ぬまでに堅信を受けたい」
カトリックはわりと皆サバサバしててミサが終わるとさっさと家に帰る。ああいうのが自分には気楽でいい」
「七五三とか成人式とか日本の慣習を取り入れたミサもやっていて、そういうカトリックの現地の事情に合わせていくという方針は好き」
「地元の教会は小さくて日本人信者の数も減ってきているし、とても高齢化が進んでいる。40〜50代でも若手に入る。ヴェトナム人やフィリピン人など外国人信徒が増えたから日本語のミサが減ってしまって、ますます日本人信者が離れてしまっている」
「実を言うと、地元の教会より都心の大規模な教会の方が通いやすい」


今まで知らなかった現代カトリック信徒事情。もちろん、信徒のうちの一人の考えなので普遍化できるわけでもないのでしょうが、へえ、そうなんだぁととても興味深く聞きました。




まとめ

キリスト教文化もまた軽井沢という土地の持つ一面なんだなと思った1日でした。

*1:サレジオ修道会の出版社ドン・ボスコ社から発行されている信者向けの月刊誌。余談ですが、2011年10月号を見せてもらったことがあるのですが、‘カトリック信者が『もしドラ』を読んだら’という特集が組まれていて思わず笑ってしまいました。宗教界にもドラッカー旋風が来てるんだ……!ちなみに記事の内容は、『もしドラ』のようなマネジメントをどのようにカトリック教会、特に小教区で用いるか、というもの。